もんぜんじゃくら〈1〉

「夏草や、兵どもが夢の跡…かぁ」

 かの有名な歌人、いや俳人が残した言葉はその意味とは裏腹に後世にもしっかりと紡がれているというのに、俺の書いた小説はどこの書店にあるのやら。

 

「史上初の小学生での受賞となりましたが、どのようなお気持ちですか」

 今でも覚えている。俺の輝かしい過去の記憶。向けられる羨望とカメラ、降り注ぐスポットライトその下には俺…ではなく遥か年下の小学生作家。俺の唯一の受賞作【袖擦り合うも一蓮托生】の報道は同時期に劇的な幕開けをした小学生に軒並み持っていかれたのだ。いや、過去を振り返るのは止そう。どうせ振り返ったところで何1つ得るものもないのだから。

「ってもなー、アイデアが浮かばねぇよアイデアが」

 そうなのだ。アイデアが浮かばないというシンプルな難題が俺を苦しめている。小説家というと俺の中ではなんとなく窓の外を眺め、ふとした気づきから発想を膨らましていくような気がしているが、実際は気づきなんて何もない。窓からの景色がただの住宅街なのもイメージと違う。もっとこう、川沿いの桜が見えるとか、海が広がってるとか青々とした田園風景ではなかろうか。窓から得られる情報が「あ、向かいの駐車場今日空いてる」って悲しすぎるだろ。

 今の家というか部屋は不便ではない。コンビニも近いし郵便局も歩いて数分のところにある。お陰で原稿の郵送だってすぐできる。西武新宿線を使えば都心だって遠くない。ただ不満はある。窓からの風景も小説家の部屋らしくないし、何より狭い。大の大人が6畳のワンルームはさすがに狭い。職業柄紙媒体の資料が多くあるので、部屋は常に床を踏むか資料を踏むかの2択を迫ってくるありさまだ。大抵は床を踏もうと無理な体勢になり足を攣るか資料がくしゃくしゃになる。

 半年ほど前に引っ越そうかとも考えたが先立つものがなく諦めた。なにせこちとら仕事がない。いや、あるにはあるが不定期かつ不安定であてに出来たもんじゃない。時折雑誌のコラムや記事を担当してくれないかという依頼が舞い込んでくる。作家を名乗るだけあって文章を書くのは苦手じゃない。依頼者からの反応も意外と好評ではあるのだが、こんなものは作家の仕事じゃあない。昨今話題のインフルエンサーでもできる仕事だ。とまぁ強がってみたが今の俺はしがない物書き、どんな仕事も請け負いますとも。

 ピロン。机の上に置いたスマートフォンに光がともる。

 『お前ん家の近くのマックにもうすぐ着くぞ』

 危ない、物思いに耽りすぎて約束をすっぽかすところだった。今行く、とだけ返信をし服を着替える。特別着飾る必要はないが、久々に会う旧友だからか少し緊張しているようだ。靴を履き外に出ると急に眼がかゆくなってきた。花粉だ、花粉が飛んでいる。マックまで距離がないとはいえこの時期は目と鼻に優しくない。どうして俺は植物の生殖活動にここまで悩まされなきゃならんのだ、と見えない花粉にへきへきとする間にマックのいい香りがするではないか。ついでにあの特徴的なテレテ、テレテというメロディーも聞こえる気がする。いや、気のせいか。

 店内に入り旧友を探す。長いこと会っていなかったが流石に見ればわかるだろう。

「おーい、辺田野。こっちだ」

 声のした方へ振り返ると、売れない漫画家のような恰好をした旧友の横杉が手を上げていた。