知性と表現

高校卒業後疎遠になってしまった友人と久々に連絡を取った。ここで少し彼の紹介をしよう。彼はクラスの中心というわけではなかったがその発言はちょっとしたジョークを含みそれに気がついた人がクスリと笑う、実に私好みの人物だった。部活が同じだったこともあり多くのことを話した。最近ハマっているゲームやその攻略法、試験の出来、背伸びをして将来のことを話したこともあったと思う。その時も彼は話の才を遺憾なく発揮し私を大いに笑わしてくれた。

 

このように高校時代から彼の表現の仕方には目を見張るものがあったが真にそれを生かせるのは活字の中なのかもしれない。私はなんの気無しに彼のブログを読んでみた。そこにはセンスが光る文章が軒を連ねていた。f:id:Argonautae:20200321174209j:image

表題にもあるように『知性』と『表現』はリンクすると私は考えている。ここで大事なのは知性と知識は別物である点だ。知識とはすなわちデータでありインプットによって得られるものなのに対し知性とはデータの活かした方というべきものである。どんなに良い食材を集めても料理人の腕が鈍では大したものは出来上がらない、反対に格安の食材であろうとも一流であればそれは極上の品となるだろう。

 

私がこのように何ヶ月も放置していたブログを綴ったのも彼のブログに感化されてのことだ。人が人を突き動かすように人の書いた文章も人の何かを奮い立たせるのかもしれない。